密接を避けるため、交通手段は、あえて、利用者が少ないと思えるローカル線を選んだ。
普段もあまり需要があるとは思えない区間のローカルバス、
ロックダウン中、旅の乗客は、なんと私たちだけ!! 貸切状態である。
長年、世界を旅して来たけれど、こんなにゆったり旅するのは、初めてのこと。
何だか非常に贅沢で快適な旅。
こんなご時世でも、治療のためとはいえ、旅をし続けている自分たちの姿に、根っから旅人なんやろか、と思ってしまう。

ローカル線列車・バスは、実は一番お気に入りの旅の手段。
車窓から垣間見る、見知らぬ土地での見知らぬ人々の日常。
農作業をしている人、会社に向かう人、犬と散歩をしている人、釣りをしている人。
いろんな国で暮らしてみたけれど、
何処に行っても、人間は同じように食べ働き寝て、同じように愛し、悩んでいる。
だからこそ、わずかに垣間見る、日常の断片が何だか愛おしく思える。
汚い、だらしない、列車は遅れる、騒がしい。
だが、誰も退屈だとは非難しない。”
手元にある、地球の歩き方 伊、97年版、冒頭にある編集者の言葉。
この国に初めて来た時、これらは南下するごとに増す感があり、ナポリは、欧州というより、中東やアジアの雰囲気が強かった。
20年近く経った今、普通列車さえも遅れるどころか、定刻前に到着したりもするし、
大都市の駅などは、欧州の他国に劣ることなく、立派で機能的になった。
戦前の先進国、そして現在の東南アジアで今も行われていることだが、
この国にも、発車待ちの列車内に、ミネラルウォーターやコカコーラ、ビールなどを売りにくる者がいる。
南イタリアでは、現在も出会う光景だけれども、90年代に比べると、非常に少なくなった。
昔は、ナポリからの南行き道中、腕時計を売りに来たり、仕事がなく妻が妊娠しているからと(大げさな嘘であること多し)、施しを求める人などが必ずいたものだ。
今でもたまに見かけるが、昔と違ってEU圏外の人が混じるようになった。
数年前、ローカル線に乗り込んで来た、非イタリア人、
よくある、家も仕事もないから施しをというタイプ。
車内を端まで歩き、戻って来たところで、チケット所持をチェックする車掌にバッタリ出会うも、常連のようで、車掌が話しかける。”奥さん元気か?”
”うん、元気だよ、今家にいる。”
なんや家あるやん、よかったなぁ、
心の中でツッコミ入れた私。
バス目的地に着く前に、次の列車に乗り換えるため、
FS鉄道サイトで、乗り継ぐ駅と時間を再度確認する。
サイトに出て来た、3つの駅の中で、徒歩10分という一番バスターミナルから近い駅名と時刻をチェック。降り立ったバスターミナルで尋ねると、鉄道駅はここから30分かかると言う。
不思議に思うも、とりあえずその方向へ歩きながら、道ゆく人にその駅名を尋ねて歩くと、
誰一人、その駅を知らない。
どうやら名前は違うものの、存在するらしい別の駅へ向かい、
やって来た一両編成の、たった2駅間を走るローカル線に乗り込む。
再び私たちだけを乗せた列車が出発し、元々乗るつもりだった駅が次なので、
窓から景色を見ていると、素通り。
それもそのはず、その駅は、廃止となっていた。にも関わらず、国鉄サイトの駅名検索に出てくるという、
相変わらず退屈しないイタリアは、まだ健在のようである。
道中曇り空、
目的地の予報は晴れ。
秋の陰雨に、虹を見る。
どんな道も、
人生の終着地点には、太陽が広がっているといいなぁ。
そんなことを思いながら、旅は続く。
#コロナ時代の旅 #退屈しないイタリア #イタリアロックダウン
リアルに生きる喜び、リアルな生きる歓び
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