神が存在すると考えていた、ギリシャの偉大な哲学者アリストテレスが嫌った、
ゼロの概念。
何故なら、彼にとって、ゼロ(空虚·無)を認めることは、
神が存在しない空間を認めることであったためである。
この考えは、ヨーロッパ全土に広がり、
カトリック教会によって、ゼロの概念は神への冒涜とみなされていた時代もあった。
これまで、都合に合わせ、様々なものを否定し続けてきた教会。
教会が、芸術家のパトロンでもあった時代、
天才ダ·ヴィンチが、発明した眼鏡は、
神のようにものが見えようになるのは、神への冒涜であると、
その発明が否定された。
少し本題を外れて、
気になった今日のニュース記事
学校の"宗教の時間"をやめ、"哲学"の時間に、ベルギーの提案
現在もイタリアの学校カリキュラムである、宗教(カトリック教)。
イタリアでも、様々な宗教を持つ生徒が机を並べて過ごすのが日常風景となった今、特定の信仰を持たせる教育は、もはや時代に合わない。
そして、神聖さと共に生きるのに、
必ずしも、宗教や神を介す必要がないというのが、私個人の考えである。
さて、ゼロの概念、
“記号としてのゼロ“(例:702という表記の0のこと)が、最初に使用されたのは、
紀元前数世紀のバビロニア、
それに対し、"数としてのゼロ"が初めて使用されたのは、
7世紀のインド。
紀元前5世紀のヴェーダ、仏教の教えなど、古くから、”無”という考えが存在した国である。
ダ·ヴィンチも、無という概念について記述している。
”我々の周りにある偉大なことの中でも、無の存在が最も素晴らしい。
その基本は時間的には過去と未来の間にあり、現在の何ものをも所有しないというところにある。
この無は、全体に等しい部分、部分に等しい全体を持つ。
分割できないものと割り切ることができるし、割っても掛けても、足しても引いても、同じ量になるのだ。”
そんな風な見方をすると、
ゼロは、神秘的な数字である。
次回はゼロ・ポイント・フィールドへと続く。。
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コメント
コメントありがとうございます。その大きさを図る事が出来ない無。なるほど無限大ですね。