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☯️自然らしさ

ナニモ タベラレナクナルジャナイカ

Grazie🌷
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植物が切られる時に、発する音を録音した
研究ビデオがある。

初めて見た時、そんなこと言われたら、
ナニモ タベラレナクナルジャナイカ
と思ったが、
植物にとって、切られることが喪失、痛手であることは事実だ。


これまで、葡萄は剪定するものと思っていた。

田舎暮らしでは、ワイン作りをする人が多く、
普通は剪定を行う。

そうすると、適した気候のこの土地では、
葉っぱより葡萄が多いくらい豊かに実るので、
剪定により、つける実が多くなるというのは確かなことだ。

所が、山小屋の周りにあるもはや野生化した葡萄、
剪定されていないにもかかわらず、
一房1キロ位の実を含め、非常にたわわな実をつける。

果たして剪定とは必要なものなのか、
この葡萄が、考え直すきっかけを与えてくれた。


自然農法の福岡正信さんが若き頃、
お父さんが剪定した、ちょうど生り盛りのみかんの木を、
何もしないという彼の無用論で引き継いだ時、
枝が混乱し、虫がつき、枯れ始めたという話を思い出す。

人間が考える型に沿って剪定された木は、
そのプログラム通りに枝を伸ばすよう、剪定され続ける。

途中から放ったらかしにされると、
その定められたバランスを外れ、
自らのバランスを取り戻すため、実をつけなかったり、
あるいはバランスを取りそこなってしまう。


福岡さんは、

「それはただの”放任”にしかすぎず、”自然”ということではなかった、

不自然な状態を作っておいて、
そこに放任することと、自然は違う”。」
と記している。

「放任ということと、自然ということが混同されていて、
放任が自然であるかのように錯覚している場合が多いんです。

自然を不自然にする最初の出発点は何なのか、
ということがはっきりつかめていなんです。

結局、人間が、その知恵と行為で持って、
何か悪いことをする。

悪いことをしておいて、
それに気づかないままに放っておいて、
その悪いことをした結果が出てくると、
それを懸命に訂正する。

そして、その訂正したことが効果を上げると、
いかにもそれが価値ある立派なもののように見えてくる、というようなことを、人間はあきもせずやっているわけです。」

”福岡正信著 わら一本の革命”より


イタリアでも、一部の人の間で、とても有名な福岡正信さん。
彼の言葉が、会話に出てきた週末のパーマカルチャー・ワークショップ2。

ぶどうの花の季節がやってきた。


見たよ~🍀
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