ウォーキングコースにある、知人宅。
畑仕事をしている知人が目に留まり、
声をかけると、招き入れてくれた。
自然農法の畑を見せてもらった後、
核シェルターがあるんだ、と
まだ、未完成状態の大きな建物の中へ案内される。
”スイスでは、皆、核シェルターもってるよ。”
そう口にする彼。
実際どのお宅にも、核シェルターがあると言う意味なのかどうかは分からないけれど、
スイスは、万一、核シェルターが必要になった場合、
国民全員を収容できる核シェルターを持っている国。
国民全員のキャパシティーはないけれど、
イタリア大都市に、地下シェルターは存在する。
ローマの地下シェルター
かつてムッソリーニがローマ時代に住んでいた場所として知られ、現在は公園になっているトルローニア邸。
ムッソリーニとその家族が、連合軍の空襲から逃れるために、1942年から建設が始まった。
円筒形の構造で、地下6メートル、4メートルの鉄筋コンクリートで保護されている。
1943年4月25日に逮捕されたムッソリーニが使用することはなかった。
現在では、一般に公開され、ガイドツアーが行われている。
ヴィクトル・エマニュエル3世が1940年から1942年にかけて、
ヴィラ・アダの敷地内に建設したシェルターも歴史的なものである。
70年以上にわたって閉鎖されていたが、現在では一般公開されている。
王族の住居であるヴィラ・サヴォイアからわずか350メートルしか離れていないにもかかわらず、徒歩で移動するのは危険であるため、王族専用の地下壕として、王の車も収容できるように設計された。
ミラノの地下シェルター
ミラノの地下シェルターで最も有名なのは、
ジャコモ・レオパルディ小学校の下、ボディオ通りに作られた防空壕87である。
このほか、中央駅近くのジョイア通りやチェーザレ・バッティスティ通りにも防空壕がある。
ミラノの北側公園の東側には、ブレダ防空壕、正確にはブレダ第5航空部隊の防空壕が点在している。
これはパイロットや作業員のための防空壕で、40人ずつが最大3時間、酸素がなくなるまで入れることができる。
第二次世界大戦後、放置され忘れ去られていたが、偶然発見された。
現在では、イベントや展示会、文化的な取り組みの場として活用されている。
トリノの地下シェルター
長さ40m、幅4.5m、高さ3.30mのトリノのリゾルジメント広場の地下シェルター。
1943年に完成し、終戦とともに放棄され、1995年に再び一般公開された。
最大で1,150人を収容することができたとのこと。
もう一つのトリノの地下シェルターは、市議会があるパラッツォ・チヴィコの下に作られた、最大50人収容の小規模なものがある。
地下10メートルに位置し、長さ30メートル、高さ1.80メートルのトンネルを通ってアクセスする。
ナポリの地下シェルター
ナポリでは、1853年にブルボン家のフェルディナンド2世によって作られたトンネルを見学することができる。
第二次世界大戦中は、爆撃から身を守るためにナポリ住民が避難する場所として利用された。
パレルモの地下シェルター
パレルモには、自治体庁舎であるパラッツォ・デッレ・アキーレ内に避難所がひとつある。
防空壕には照明装置や浴室があり、換気装置で空気を供給していた。
キャパシティーは200人程度で、プレトリア広場から3つの入り口があり、
現在は、パラッツォ・デッレ・アキーレからの入り口が、唯一アクセス可能となっている。
定期的に見学が可能であり、ボッカディファルコのシェルターと全く同じ、かつての軍の中継所跡地にある。
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