昨日夕方、イタリア国営放送RAIニュースで、
上野公園のお花見の様子が取り上げられていた。
”日本優勝!”と、乾杯する人たち。
”やっと日常が戻り、とても嬉しく、幸せな気持ちでいっぱいです”
と、模範解答のように清々しく答える、女性インタビュイー。
その後映し出されたお花見の風景に、
”飲め、コノヤロー”
酔ったような男性の声がはいっていた。
その部分にイタリア語訳はついていないので、
大多数の視聴者にとって、
美しい日本の春風景として映っていた、ただの一コマである。
1.酒は百薬の長には続きがある
飲まない人は、飲まないのがベスト
飲むなら適量
健康になる適量が存在しないことから、
酒は百薬の長も、
現代は、科学的には正しくないとまで言われるようになった
お酒と健康の関係。
村の博物館に展示されている、ローマ帝国時代の石板には、
ワインで治療と、ラテン語で彫られている。
酒は百薬の長という考えは、
なるほど、東西共通なのだと思ったけれど、
ワイン=飲む
ではないと、あとで知ることとなる。
古代の薬としてのワイン より
❛❜当時ワインは、特に修道士や病院騎士とよばれる人たちによって、
医療品として使われていた。
例えば、ヒポクラテス(紀元前460年頃~370年頃)は、
ワインを傷の治療、滋養強壮、解熱、下剤、利尿のために処方していた。
ガレノス(西暦130年頃~201年)は、ワインを薬として大いに活用し、
ビザンティン時代に彼の著作が広まったおかげで、
西ローマ帝国崩壊後もワインを薬として使用することができた。
ガレンは、傷の治療、衰弱した身体の活性化、解熱剤としてワインを使うことを推奨し、
中世ヨーロッパで広く支持された。
しかし、中世後期にワインを治療法として確立させたのは、
医師アルナルド・ディ・ヴィラノヴァ(紀元1235~1311年頃)であった。
アルナルド・ディ・ヴィラノヴァは、ワインの薬効を示す膨大なリストの中で、
防腐作用と滋養強壮を強調し、湿布に使用することを推奨している。
中世の時代を通じ、ワインはそのアルコール度数の高さから、
当時の医師たちが薬とみなしていた薬効成分を抽出し、
その味を隠すことができる数少ない液体のひとつだった。
こうして、薬草やワインをベースにした医薬品「テリアカ」は、
あらゆる病気や疾患を治療するために使われるようになった。❛❜
テリアカ ブリタニカ国際大百科事典より
解毒薬。50~60年ごろローマ皇帝ネロの待医者アンドロマクスが発明したといわれ、
当初は毒蛇咬傷の解毒薬で、約70種類からなる漢方であった。
東洋には7世紀に伝わり、中国の『新修本草』(659)に外国渡来の漢方として記載されている。
中世には、黒死病(ペスト)など感染症の特効薬として使われ、以来19世紀まで、洋の東西で万能薬として珍重された。
材料の新種は数や国、時代によって多種多様であったが、ヘビは必ず入っていた。
当初は毒蛇咬傷の解毒薬で、約70種類からなる漢方であった。
東洋には7世紀に伝わり、中国の『新修本草』(659)に外国渡来の漢方として記載されている。
中世には、黒死病(ペスト)など感染症の特効薬として使われ、以来19世紀まで、洋の東西で万能薬として珍重された。
材料の新種は数や国、時代によって多種多様であったが、ヘビは必ず入っていた。
欧州において、今でも使われる、
薬草リキュールや、ハーブチンキ(アルコール抽出)。
お酒も、利用法によっては、薬なのだろう。
リラックス効果、体を温めるなど、
お酒の賞賛に使われる、
”酒は百薬の長”。
徒然草には、その続きがあり、
「百薬の長とはいへど、万(よろづ)の病は酒よりこそ起れ」
言葉の一部だけが浸透したがゆえ、
現在では科学的には正しくないと、否定されるようになったのかもしれない。
2.酒の中に真実あり
博物館の石板にある、もう一つの有名な言葉。
In vino veritas
ワインの中に真実あり
(その後、In acqua sanitas 水の中に健康あり と続く)
酒に酔えば、人は本音や欲望を露にするという諺。
日本語の飲み二ケーション
もう死後となってしまったのかもしれないけれど、
上手い表現だ。
花見酒
3年ぶりの席では、
どんな本音が飛び出しているのだろうか。。
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