そこに入ると、いつも独特のにおいがした。
同僚は、放射線被爆治療の副作用による匂いだと言っていた。

当時私は、少しでもいい仕事を生活を求め、イタリアにやってくるウクライナ人が集まる所で、働いていた。
若者もいたが、多かったのは、中年女性。
右も左もわからず、一言のイタリア語も知らず、
先にイタリアに来た知人などを頼りに、
鞄ひとつでやってくる。
学歴を持つ人、医療に携わっていた人、教育に携わっていた人もいた。
当時は、移民法がまだ緩く、
市場で物を売る者、
年老いた人の付き添い・世話をする者、
ただ生活の安定を求めてイタリア人と結婚する者、
売春婦となる者、
表・裏の手を使って、皆、命綱である滞在許可証を手に入れていた。
彼らが集まる広場があった。
隣のベンチに座ったロシア系中年女性が、顔見知りだと思われる物売りのセネガル人に話しかけている。
”肌の色は違っても、結局皆同じ人間なんよ。”
20年以上前の話。
あの匂いが本当に副作用によるものだったのか、今となっては真相はわからない。
ただ、この日になると、あの匂いのことを思い出す。
リアルに生きる喜び、リアルな生きる歓び
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#35年目のチェルノブイリ #イタリアのウクライナ人
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